□白虎隊の学舎 会津藩校日新館とは・・・
江戸時代、全国三百藩校の中でも規模内容ともに随一と謳われたのが、
会津藩の学校「日新館」です。五代藩主松平容頌の時代に、家老田中玄宰の
「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり」との進言によって
計画され、五年の歳月をかけ享和三年に鶴ヶ城の西側に一大学問の殿堂として
完成しました。
日新館教育は、十才で入学する以前の六才頃からすでに始まっています。
幼年者の集団教育は、自然の遊びのうちに社会人としての基本を教えることを
狙いとし、子供は子供同志、年長者と同年輩との交わりの中で覚えていくのが
自然であるというのが藩の方針でした。それを、近隣の遊び仲間十人を一組とし、
「遊び」をさせ「お話」をするという制度に発展させたので、幼い者でも無理なく
年長者への尊敬や礼儀をおぼえ、知識を得て行くことができました。
(パンフより紹介)