fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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民主主義から全体主義に

トルコの大統領選、在職20年のエルドアン氏が再選を果たしました。

これであと5年、四半世紀に及ぶ独裁です。5/28

 

◯民主主義は幻想、全体主義化する世界

考えてみると、民主主義も共産主義と同じく、

理想的につくられた概念にすぎず、実現できないものなのかもしれません。

それを主張している国は多いのですが、

その真実といえば、どこにも実現されていないのです。

 

朝鮮民主主義共和国みたいに、名称の一人歩き、です。

どこもかも国民のためと、口先だけで、

自分たち仲間グループ独裁の国家だらけです。

 

だいたい、トップがその任期を延長するようなことを許すのは、

その理念との矛盾も甚だしいでしょう。

奴隷がいたら真の民主主義でないし、差別もそうでしょう。

貧困との格差が増大しているのは、貧困を望んだ人たちがいるからではありません。

 

 

 

民主主義国のグループ独裁国家化

◯がんばれ、岸田翔太郎氏

岸田総理が長男の政務秘書官更迭

総理の息子が、いい年して総理のまねごとで階段で記念撮影、

まさに世襲そのもののアピールです。

しかも流出で更迭とは、TVドラマよりおもしろい。

こういう人がいるから、世直しのきっかけにもなる、

もっともっとがんばって欲しいものです。

本人が流したのなら、大したもんですが、、、。

 

世襲だけでポジションが得られるのは、民主主義に反する。

また、更迭とは、、、

もうダラダラしていたので、昨日、upしたら、すぐニュースだもの、、。

 

 

◯民主主義と独裁

民主主義は多様な意見が許容されると思われていますが、それは自由主義です。

民主主義の本質は、「自分には嫌なことだけど皆がそう望むなら我慢する」というような寛容さに支えられているものと思うとわかりやすいでしょう。

自分たちとは、別の考えの勢力を温存していくことにより、リスクマネジメントするのです。

 

とはいえ、多数決で、一つの意見に絞り込み、他のものを潰していくと、結局、独裁となります。一つにまとまるほど、何かの事態で、行き詰まったときに、破綻し崩壊してしまうことになるのです。だからといって、すべての意見を取り入れたら支離滅裂、実行できません。この調整が、最大の課題なのです。

 

たとえば、スーパーコンピューターに偏ったがために、パソコンに進出できずに、時代を切り開けなかった日本の政策に対し、アメリカでは、その両方に手をつけた、いや、カウンターカルチャーサブカルチャー#があったところが強みとなったわけです。

 

#ある社会の支配的文化に対し,敵対し反逆する下位文化(サブカルチャー)を,一般に対抗文化(カウンターカルチャー)、あるいは、敵対的文化(アドバーサリー・カルチャー)と呼ぶ。

 

 

 

 

多様性と民主主義の崩壊

続きです。

 

◯多様性を容認する民主主義

対立する意見が組織内にあることは、ライバル関係で磨かれるのと同じで、活性化するものです。常に問われるし答えを出そうとして考えざるを得ないからです。

 

市民社会の幼稚化

自分たちがエゴイスティックに利益を求めるのと、その1部を公にゆだねて共同体を保つと、どちらがよいかと言うことで、

公を尊重して、市民社会が形成されてきたわけです。

なのに、民が幼稚化してしまうと、こうした社会はうまく機能しなくなってきます。

 

◯首相秘書官の長男

<岸田総理は、長男で総理秘書官を務める翔太郎氏が、総理公邸で忘年会を開いたことを週刊誌で報じられたことについて、

「適切さを欠くものであり、国民の皆さんの不信を買うようなことであるならば、誠に遺憾である」「私から本人に対して厳しく注意を行った。緊張感をもって対応してもらいたい」と語りました。>
「不適切でした」でいいのに。

子が子なら親も親。親として謝罪するものではないが、秘書官にあるまじき行動。

というか、任命責任者として謝罪もなく、

「国民の皆さんの不信を買うようなことであるならば」

などという新たなフレーズで、遺憾砲を放つだけなのでした。

なぜ、突っ込まない、ポーズだけの野党もマスコミも。

こんなことで不信を買っているだけではないのですが。

 

 

 

 

 

民主主義の原理

◯民主主義の形の独裁

日本の為政者たちは、かつては、批判を受けたら受けるほど、

それを上まわる論法や政策で対抗して、

強力になっていったのでした。

しかし、いつの間にか、反対すると、ただ、敵とみなし潰そうとしたり追い払うようになりました。

異なる価値観や意見、多様性を唱えながら、

真逆のことをして、何ら自らを省みることはありません。

異質な考えの人、少数意見の人がいてこそ、より高度になるという民主主義は、どこに行ったのでしょうか。

 

◯民主主義の崩壊を防ぐ

安倍政権では、首相自ら「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、あからさまな国民の分断を促進し、政治的に反対する人は、反日としてきました。一方で、森友、加計、桜と、忠誠する人たちとは、公共財を分かち合い、犯罪さえ罰しないところまでいったのです。

政治家も、民主主義をなんら理解も尊重もしていない証拠でした。

 

岸田政権は、その延長上で、安倍首相のように表に出さずに、政策を進めていくだけに、より注意が必要です。

 

民主主義を求めるなら、自らが考え、行動すること、

代議制民主主義なら、選んだ人の行動をチェックし正す義務があるのです。

 

 

 

財務省とジャーナリスト

ですから、個人であるジャーナリストなど、

ある程度、著名人なら、見せしめにされます。

本人のレクチャーが中止とか会場が使用できないとか、

細かいところまで、日常や活動に不自由が生じます。

よくわからないままに理不尽なことが増え、

気づいたら世間が敵になっているようなことが、、。

まあ、この省庁だけに限りませんが、、。

お上のブラックリストに載るのです。

有名人ならゴシップが上がります。メディアに目をつけられ、つまらぬことを大きく取り上げられます。

警察や公安、あるいは反社会勢力まで動く、というような恐怖に囚われる人もいるでしょう。

そうなると、ドラマのようですが、ドラマ以上のことも、きっと、、。

 

さらに食い下がったり、単行本を出版したりすると、大事になります。

伝家の宝刀、税務調査が入るのです。

本人だけでなく、取引先や関係者にも調査がいくので、すごく迷惑をかけることになるわけです。内実を知らないと、まわりに脱税や所得隠しに思われます。

圧力そのものです。

私自身、評論家やコンサルタント知人らが批判や告発本などを書いたら、そことの取引明細を電話で聞かれたことが何度かありました。まあ、私などとの取引額などしれているのですから、嫌がらせです。

そのうち、そういうことだとわかってからは、

そういう人は、栄誉のひと、と思って、フォローしています。

財務省とマスメディア

財務省金融庁関係で、批判の記事を書くと、どうなるか、

まず、ていねいに、注意がきます。

もちろん世論に影響を与えられる媒体に対して、ですが、

事実と違う、間違っている、という指摘です。

それをスルーすると、情報を出してくれなくなります。

よばれなくなり、次には、取材拒否です。

特落ちを恐れる横並びの日本のマスメディアの場合、それは首を絞められるようなものです。

日本では、相変わらず、記者の署名記事が少ないです。

マスの読者数がいて、しかも日和見層が多いので、

編集方針を、公正に偏らずに、などと無理なことを続けてきたからです。

会社も官公庁も同じです。オリジナルの強みがないから、根回し、談合、出来レース

個人対個人でなく、お上withマスコミ会社なのです。

 

いったい何の仕事をしているのでしょう。

いや、こういうのが仕事というのは、先のドラマでも紹介しました。

引き続き、財務省のブルシットジョブ、「家庭教師トラコ」だよ。

 

 

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日本を牛耳る者たち

日本の為政者、官僚組織や大手企業は、マスメディアを主従関係のように忖度させるところまでいっています。それを担っていたのは、大手広告代理店です。メディアに睨みを効かせながら、コネ入社から、イベント、社葬まで、あらゆることを取り仕切っていったわけです。

これら政財界の力、知識、人脈、権力に、今の若い記者などは、かないません。それを守るような器のある上司がいなくなってしまったからです。

 

子育て支援については、先述しました。岸田首相は、財務省の言いなりです。「増税でまかなわない」と言ったのは、どのような絵が描かれているのか、よくよく見極めましょう。

と言うまもなく、すぐに「医療保険で一兆円」かい!

 

安倍晋三氏は、マスコミを抱き込もうとしました。そこが彼の内政で、私がもっとも許しがたく嫌うところです。が最長の政権であれほどの権力がありながら、財務省とは、総選挙のときしか張り合えない、増税を受け入れないと政権を潰されるとまでと残された著書で明かしています。

どこまで真実かは定かでありませんが。

 

大手の企業、広告代理店、プロダクション、マスメディア、政治家、そして、官僚と並べて、

そのトップに立つは、矢面に立つことのない財務官僚たちなのです。

 

なんか年配の人には、こんなこと、いまさらですね、

そう、あの大蔵省、大蔵官僚です。

私たちが若いとき、メシ代を出す人を、「今日は大蔵省がいるから、、」なんて言っていましたが、今、財務省とは言わない、もう庶民から遠いとこにいっちまったんですね。

2001年、最後の大蔵大臣、元大蔵官僚で初代財務大臣となったのが、宮澤喜一さんでした。

 

このあたり、以前に述べた「家庭教師トラコ」とシンクロさせていってください。

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