fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

結果先行での創造力開発 「白い濁流」

NHK社会派エンターテインメントドラマ「白い濁流」全8回を見ています。あと1回。薬品開発の暗闇を描く。研究者が経営者としても、のし上がっていくなかでの人間関係、友情、愛情の変化、薬害と責任、会社という組織など。

裁判での勝利と人生の勝利が違うと言うセリフがありました。伊藤淳史佐々木希さんが頑張っています。6回終了時になんとなく結末が見え、今回でほぼ確信しましたが、最終回はいかに。原作者と脚本家がどう考え、今の時代に持ってきたかを予想してみるのは、またとない勉強です。

 

わからないときは、笑ってしまうことです。

結果を先行させると、そこからプロセスを創造するきっかけとなります。

創造とは、離れたものを結びつけるアイデアを出すことです。

それが離れていれば離れているほど、結びつく鍵を見つけたとき、

創造性の豊かなものとなります。

 

ヴィジョンや目的や思い描く結果があると、

現状をきちんと捉えて、

そのギャップを見据えていくことができます。

ギャップとはプロセスであり、

どのように結びつけるかになります。

そこで必要なのが、鍵=アイデアというわけです。

 

あらゆる創造は、そういったもので、

2つ以上のものを結びつける何かを見いだすことにあります。

 

わからないことには、何でもよいから何かをおいてみるのです。

何をおけばいいかもわからないなら、

たとえば、思いっきり笑ってみます。

笑ってしまう結果が出るためには、

今の状態からどう進んでいけばいいのか、

それを見ていけばよいのです。

 

学問と小説と「大地の子」

国學は、一君万民の思想を普及していきました。一方、外国語の辞書が普及します。そのことは、他の国の人の存在を認め、違う立場の人を学ぶことになったのです。

小説は、いろんな出来事を俯瞰してみる訓練になります。

読書で思考して、公やナショナリズムを深く考えるようになった人もいます。

 

中国残留孤児をテーマとした「大地の子」をNHKドラマ再放送で見ました。7/19から11回でした。1996年が初回放送のものでした。小説で読むよりもTV画面では、胸に迫るところがありました。山崎豊子は、当時、胡耀邦総書記の協力を得て、日中合作の映画化をしたのです。中国の良くないところも取り上げられているので、現在の中国では上映中止になっているようです。

こういったものを日本では見られるのですから、両国民がみると友好が深まると思います。25年ほど前の方が、日中の文化面での関係は、良かったのです。

ついでに、若い人には五味川純平の「人間の條件」もお勧めします。

 

長野県の軽井沢に10年来、合宿に行っていたときに、二つ、同じ名前の村があるのに気づきました。それは満州から戦争に負けて戻ってきた人たちが別々に住んだところという話を聞きました。長野は戦前貧しく、満州に移り住んだ人が多かったのです。「大地の子」も、長野とつながります。

残留孤児の来日のシーンが、かつてテレビによく流されていたことを思い出します。

子供の頃、満州から引き上げてきた人たちは、芸能や芸術の分野でさまざまな才能を発揮しました。

赤塚不二夫小澤征爾加藤登紀子、ジェームズ三木、ちばてつやなかにし礼松島トモ子森繁久彌山田洋次、、数知れず。

テレビとネット 芸能人格付けチェック、開運なんでも鑑定団

「芸能人格付けチェック」という番組を見て、音楽分野だけは耳を試しています。歌い手、クラシック、ジャズ、邦楽などの演奏で、本物か偽物を見分けるのです。ここに並べた順で、私は判断に確信を持ち、早々に正解できます。歌い手なら、まわりのクラシック歌手などより確実に見抜いてきました。彼らは正確さの上に演奏を見るので、日本のポピュラー歌手は苦手なのです。私もアニメの主題歌で一度だけ間違えましたが、今でも実力から見ると逆と思っています。

多くの歌い手や歌い手志願者の歌を判断してきました。ずっと聴いていたいのか、続けては聞きたくないのか、シンプルです。早ければ出だしだけで、良い悪いなど比べなくともわかるものです。心に響くとか感動する、とまではいかなくとも、成り立っているのか、あるいは、私ならまだ直せる、そこでの程度で判断するかです。素人よりは、その差を大きく増幅して感じるということになりましょうか。いろんな物差しがあります。

ついでに絵画や彫刻、書、掛け軸、陶器といった美術品なら、絵画はそれなりに自信がありますが、その他は「開運!なんでも鑑定団」などで見る限り、だめです。美術館だけはたくさん見てまわったおかげなのでしょう。インパクト、リアル感、立体感、生命感、、、。

料理の味比べなどをテレビで見て、面白いという感覚は、あまりありません。テレビでは視聴覚でしか判断できないからです。楽しむ人は、一流芸能人、日頃良いものを食べている人たちが間違うことを面白くて見ているのでしょう。GACKTさんのように全てに優れる感覚を持つ人はそんなにいません。そういう人ばかりでは、番組になりません。

私などは、出ている人がそんなにわからないのに、プロとしてやっている、そんなにわからないのに音楽のプロもいるとかいうことで少しばかり自信を持てます。そして、人間大して差がないのだなということで、彼らのような努力もしなくてはと思うこともあります。

 

 

テレビは、かつて、家庭に、神のようにやってきたのです。その日から、いきなり主役となったのです。夕食の風景を変えてしまいました。家族団欒を妨げもし、助けもしました。

ネットについては、その影響力は多大ですが、あのときのテレビほどに、新たな神の世界をつくり出したように思えません。私が古いんでしょうか、使えてないからでしょうか。

テレビは、外の世界を一方的に私たちに伝えるものでした。皆に、ほぼ同じものを世界中からセレクトして見せてくれたのです。同じ経験を与えたと言うことになります。皆、同じように世界が広がったのです。

それに対して、ネットは、インタラクティブなので、電話のような存在なのでしょうか。どうもツール感があるのです。

事実を情報として与えることが、一通り終わると、飽きないようにおもしろく刺激すればよいというバラエティの感覚的なキャッチで、テレビは成り上がってきました。大宅壮一の名句と思われていることの多い「一億総白痴化」という言葉は、テレビの害を表すフレーズでした。

そこに加えて、ネットがSNS中心になると、自分の頭で考えた気になり、動いた気になり、どんどんと思考が単純になっていくように思います。気をつけねばなりません。

無意識の加害者にならない 

3·11の震災以来の震度5以上の地震が都内にもきました。大地震なのか津波なのか、山の噴火なのか分かりませんが、常に備えていく覚悟は持っておいた方がよいでしょう。

岸田新総裁も大変な立場で、もはや、どこまで自分を出せるかが問われているのでしょう。こういうときこそ、過去の因習から逃れ、自分が思うままに訴えられるかが問われるのでしょう。そうでなく、それこそ大敗しないと、聞くことがリーダーの役割でないことに気づかないのでしょうか。菅総理に続いて、また芸人泣かせ、ものまねのしにくい総裁です

 

 

やむなくそうなったとき、あるいは、そうせざるをえなかったとき、人がどんな行動をとったのかは、ケーススタディとして貴重です。自分についてもですが、他者の行動では、多彩に、より深刻なケースで知ることができるでしょう。特に非常事態において、です。

映画や演劇、ドラマ番組は、それをヴィジュアルにわかりやすく教えてくれます。書物も貴重なサンプルです。ドキュメンタリー、フィクションでも、物語、ノンフィクションでも、それぞれのよさがあります。

 

冤罪とマスコミ報道の行き過ぎをテーマとする映画「望み」を見ました。

日本人は、メディアの報道の仕方もあって、容疑者の段階で犯人とほぼ決めつけます。検察、警察を信じて、誰もがわかりやすく納得して安心したいために、早く、悪役をつくり、排除したがるのです。そのために闇も深く、とてもフェアと思えないことも少なくなさそうです。また、善と悪という単純な二項対立をつくり出さないようにすることが大切です。

報道を鵜呑みにしがちな私たちも、報道に無関心な私たちも、冤罪をつくるのに加担しているのです。何事であれ、検証をしっかりとすることです。そうでないと、次に、無意識の加害者になりかねません。

 

近く、ジョニーデップ主演のMINAMATAを観に行きます。水俣とは、事実関係で異なるともいわれていますが、だからこそ、学べることもあるでしょう。

表現者がどう伝えたかったのか、から、興味を持ち、事実を検証するアプローチもあるでしょう。主人公が外国人のカメラマンという、これまた表現者

 

ですが、視聴率競争で作られるコンテンツは、思考を単純化させ、質よりも量だけに価値があるかのように、知らないうちに偏向させていきます。テレビで養われたノウハウが今やYouTuberのなかで、さらに膨張しているのです。

 

人間のもつ複雑さを覆ってしまうと、ストレートに間違った方向に突進しかねません。

そういう時代の到来を防がなくてはなりません。

 

 

言語から学び、そして実践に ノーベル物理学賞

真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞しました。気象学では初めてです。まさに環境問題が取りざたされているところに、持ってこられたような感じもします。日本人の受賞者は28人、うち物理学は12名です。これこそ日本人が科学的思考に弱いと言うような俗説への反証です。日本人であっても、ニュージャージーのほうにお住まいなのです。今回の件とは、直接、関係ありませんし、世界中で活動する日本人は素晴らしいと思います。しかし、なぜ日本の優れた頭脳の流出が起きるのか、日本の研究環境づくりを見直すべきだと思います。

 

 

さて、実践法としてのアドバイスです。

何事も、言語化していく習慣を身につけましょう。

過去と未来とつなぐには、言語が必要です。

あなたの経験と将来をつなぐのです。

 

宇宙や地球とあなたの生活の場をつなぐには、

言語が必要です。

世界とあなたの意識をつなぐのです。

 

世界の見え方が変わること、

ときに大きく揺らぐことこそが、

学ぶことです。

 

そして、できるだけ、全体的に普遍的に

考えているところから活動に結びつけていきます。

どこか、そういう機会や場をもつようにしていきましょう。

自ら、そういう場を作り、共有して、学び合っていきましょう。

 

大きく考え、足元で実践することです。

Think globally, act locally.

 

情報の意味と格差、利用法 キングオブコント

キングオブコント2021、出演順は大きいと思いました。M1もですが、審査員の評価がいつも見所です。蛙亭ジェラードンのキャラ作り、ザ・マミィが印象に残りました。空気階段の1回目のネタが頂点でありました。M1を超えてきたようにも思いました。

 

情報は、具体的な状況においてこそ

初めて意味を生じます。

具体的とは、個人的で、あなたの生きていく状況に

照らし合わせてということです。

 

そして、アクセスビリティー(アクセスのしやすさ)によって

情報格差が生じます。その点、無料で膨大な情報に

すぐアクセスできるネット検索は便利です。

インフォメーションならそれで充分でしょう。

でも、生きるために本当に必要な情報とは、なんでしょうか。

 

ネットは、新聞などと違い、情報の出来事の全体における位置づけがわかりにくいものです。

出どころもあいまいなことが多く、同じ人の発言でも、既存のメディアのように第三者のチェックが入りません。言いたい放題に、意味があるというのではよいかもしれませんし、新聞の提示する世界構図にとらわれないということにはなります。それで情報を位置づけられるだけの見識を持つ人は、そうはいないでしょう。まずは、社会の公器を利用しましょう。

 

ネットでは情報がフラットに出てくるので、再生回数が多いものが重要なもののように思い込みやすいです。多くの人が言っているから正しいとも限らないのに、少数の人が何度も言っているものまで真実味を増して受けとられがちです。

未だ、世論、空気、感情とことばのニュアンスだけで動き、事実や理論や根拠をみないのが、私たち日本人です。もっともネット情報に親しみやすく翻弄されやすい国民でしょう。

ネットをメインでいくなら必ず反論を探して、両面からみるようにしましょう。

 

「取材をして、事実をありのままに語る人は1割で、あとの1割は嘘つき、8割は、時間とともに内容を変えてしまうそうです。」養老孟司氏の著作にあった保阪正康のことばです。

誰かに聞いたからと言って、どこまでの事実かはわからないということなのです。

 

日本の近代化と日本語特質と日本人の品位 白鵬、大谷、真之、子規

白鵬の引退でいろいろと取り沙汰されています。歴代最長14年間、角界を背負い支え続けてきたのですから、敬意と祝福を捧げたいと思います。品格などの問題があったという角界こそ問題だらけ。鬼になって勝ちに行くことが横綱相撲、という考えで史上最高の成績を上げたのを、品位第一の国技としてローカル文化を守るなら、品位を芸術点として加点でもしないと、もう大横綱は育たないでしょう。

大選手が記録より名をとり早期に引退した例は、日本では多かったのですが、日本人の一面ですね。日本人の品格といえば、今や、世界に誇らしいのが、大谷翔平選手です。勝負と品位の両立は、難しいものですが、長く活躍してほしいものです。

 

秋山真之は、軍のマニュアル、テキスト、教科書をつくりました。さねゆきですよ。

近代的な軍隊づくりのために近代日本語ができたといえるのです。岸田新総裁と同じ、今の開成高校出身です。

愛媛の松山出身というと、もう一人、真之の親友、正岡子規、そのホトトギスの投稿欄や新聞紙上での日記の募集も大きな役割を果たしました。国家の統一や中央集権体制づくりに、言語の統一は、欠かせません。

 

日本語は、漢字のもつ意味から、初めての語でも推察しやすく覚えやすいのです。

そのため、同音異義語が多いのも許容してきました。

話し言葉で詰めず、書き言葉でやりとりする日本人の性格とも合致します。

他の言語はそれを避けて、子音を多用していきます。母音の前後にたくさんつけるのです。

結果として、日本語は、子音の独立性が弱く、視覚的な処理を必要とするものとなりました。

絵文字やオノマトペがなじみやすいのです。漫画を文化にまで高めた原動力でもあります。

ただ、今の音声入力においては、かなりの難題を抱えることになりました。タイプライターを羨んでいた頃と似ていますね。また、いずれ克服されていくことでしょう。