fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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総裁選、小泉元総理、原発、ワクチン

4人の候補者
が政局を争っています。考えてみれば、安倍、麻生、二階氏の弟子みたいなもので、大して自民党は変われないように思われます。
選挙で勝てないとなったときに、継承者と変人を出して、どちらが勝とうと政権を維持させるのが、手法です。危機になるほど党内が謀略で一致する、これまで何度も見てきたやり方です。そして、これまでの考え方を曲げても政権にしがみつく、それだけ政権を失いたくない利益があるのと、そのことだけで妥協できる人たちが集まっているのでしょう。
読みが甘く、野党に政権を奪われたことで、しがみつくようになった。例えば、宮沢や小渕、小泉をトップにして、党内を刷新する演出をして、目先を逸らし延命してきたのです。それからみると、今回のこの政局は、さして新しさも面白さもありません。野党が不甲斐ない安全牌だからです。自民党一党独裁で、日本は世界の動勢にどんどん遅れていくでしょう。
 
でも担ぎ出したほうがよかったのでしょうが、彼は困ったことに、党と利害を一致させられない大変人です。
先日、元小泉首相が、話していたのですが、原発事故の時、危険地帯である250キロメートル内には5千万人がいたと。で、あの事故がなければ日本は、原発100基体制に進んでいたと。それを監督すべき人たちは、電力会社に取り入り、安全でなく利益を優先していたと。
今まで繰り返したように、日本人にとっての第三者委員会や監督すべき機関は、そこの権益に近い人が選ばれるため、何の役割を果たせないどころか却って損なっていることの典型例です。
1985年、リサイクル活用を期待された、もんじゅは10年後に完成したのですが、1兆1000億円かかって、役立たぬどころか、今や廃棄するにもできず、1日5千万円が浪費されているそうです。オンカロ=処分場どころか国税廃棄場なのです。でも誰も責任とらない。
また、こういうエピソードも披露されていました。猪瀬氏の本で、日本は開戦前、2016年夏にアメリカとの戦争シミュレーションをして負ける予測結果が出ていたのに、机上の空論だと一蹴され、戦争に突入したということです。
確かに、アメリカは、対戦中から日本が負けた後にどのように統治するかを考えており、そのおかげで、日本は、敵国アメリカを味方にして急速な戦後復興を遂げたのです。これが貧しい共産主義国などに占領されていたら、すべての生産技術から労働力まで持っていかれたことでしょう。そういう意味では日本の戦後補償も、安く済んだと思えなくはないかもしれません。
 
その後の冷戦構造が、日本に奇跡的な恩恵となったのですが、おかげで日本人は、平和ボケしてしまいました。戦前の精神が残っていた頃に、心身の全力をかけて高度成長という復興を成し遂げたのですが、中途半端に権利だけを求めるようにアメリカナイズされて、衰退しつつあります。
とはいえ、アメリカが、アメリカ合衆国でできなかったこと、平和でのんびりしたパラダイスを作り上げたといえなくはありません。日本ランドです。
 
自民党の政策
でまた再開を持ち出している候補もいますが、GOTOキャンペーンもふるさと納税も、もっとも貧しく日々の生活に困っている人には一円もいかない案件でしょう。そういう人はいないことになっているのでしょう。
知り合いが、数十万円から3桁ほどの儲けを出していました。太陽光発電もです。
いつも大きな会社や富裕層がもっとも得をする制度になるのです。コロナ禍の補助金も、現場で苦労している人より何もしてない病院、医者に手厚くと、相変わらず、格差拡大のバラマキしかしてないのです。
 
法改正の整備
の遅れを見ても、昭和以前の考え方が根強く継承されているのがわかります。日本というローカルのよさを守るのも大切で、全てにグローバル化していくことがよいことだとは思いません。
それでも人権問題として考えたとき、タリバンを思い出すほど、ずれていましょう。
40代以下の若い人たちの感覚の方が、多分、正しいし、少なくとも世界はそちらの方向に動いていくのですから、自民党抵抗勢力です。
その抵抗勢力に対して、小泉元首相のようにグローバルな改革を一気にやってしまったこと、がよかったのかとなると、複雑な問題をはらんでいます。
若い人がそういった複雑な状況を学んで、より良い方向を選べるようになってもらえばよいとは思います。そのためには、海外に行き、大きく世界を見つつ、日本の文化などを深く学んでいくことだと思います。
 
ワクチンの接種率
が、アメリカを超えたと、喜んでいる日本ですが、アメリカが先駆けた後、低迷しているのは、打たない人、迷っている人、反対する人、デモする人などが多様にいるからです。
日本は、コロナの被害がそこまで急でなかったために、恐々と世界のワクチンの効果状況を見ていましたが、ある時から、安全そう、、となったら一気に、毎日百万人で、突破したわけです。しかし、ワクチンの害も徐々に指摘されるようになっています、副作用でなく副反応といいます。全員が一気に同じことをしてしまうような行動は、非常に危ないのです。
国全体のマネジメントを考えたときに、少なくとも他の国ほど被害が多くない日本では、より慎重により時間をかけてよりじっくりと取り組んでいけばよいことでしょう。日本製のワクチンの開発を待つ手もあります。
事態が深刻だと言う人もいますが、コロナについては、欧米の人たちと日本人は違うところも踏まえなくてはいけません。わずか1、2年のデータを鵜呑みにしてはならないのです。

手あてとセルフメディケーション

動物はなめて傷を治そうとしますが、霊長類は、手でセルフメディケーションをします。

  1. セルフメディケーションとは、自分自身の健康に責任を持ち軽度な身体の不調は自分で手あてすること、と世界保健機構WHOは定義しています。

毎日の健康管理の習慣が身に付く

医療や薬の知識が身に付く

疾患により医療機関で受診する手間と時間が省かれる

通院が増えることで国民医療費の増加を防ぐ

などです。

 

チンパンジーからは、自分以外の仲間を治すようになるそうです。つまり、共感して治療するのです。

手が自由になったことは、二足歩行のもたらした最大の利益の1つですが、単に道具を使うだけでなく、仲間とのコミニケーションをとる上で、とても重要な役割を果たしたのです。

たとえば、手をつなぐと、危ないところを助けたりするだけでなく、お互いの心を通わせたり、慰めたりする役割を果たすのです。

それは、反面、殴り合うことにも使えます。道具をつくり、使って、つまり、武器で何倍も、残虐なことも行えるようになったのです。

それとともに、手で絵を描いたり、文字を使えるようになったことが、とても重要です。二足歩行によって、大きくなった頭を支えられるようになり、脳も進化しました。

それが、今はスマホを持って歩きながら、猫背の悪い姿勢となって、免疫力の低下をもたらしています。道具も、簡易化され機械化され電子化され、筋肉を使わなくなっています。これまた進化ゆえの退化かもしれません。だから、鍛えなくてはならないのです。

自然なものから十分な栄養がとれなくなりサプリをとるように、普通の生活で肉体を使うことがなくなると、ジムなどに通って、筋力保持が求められるわけです。もちろん、頭も使わなくては、ダメになります。

過去への囚われと未来の予知

「バックミラー越しに現代をみている」と、かのマクルーハンは言いました。

バックミラーとは過去のデータのことです。そして、「未来に向かって、後ろ向きに進んでいく」といいます。電波怪獣こと竹村健一氏が広く紹介した人で、いわゆるテレビというものがクールなメディアで世界をどう変えるかというようなことでした。

しかし今となってみれば、それはインターネットにより適合することのように思えます。つまりワンウェイとツーウェイとの大きな違いなのです。

マルチメディアと言われ始めた頃に、ホットなメディアであるラジオのパーソナリティと視聴者の電話のようにツーウェイが理想とされました。それは25年くらい前のインターネットによって実現できる目処が立ち、SNSで現実化したわけです。

 

私たちは、何か新しいことが起きても、今までの過去の体験にとらわれてしまって見ているので本質が見えないのです。それは新しいメディアが登場したときを考えてみればわかります、インターネットの登場で、孫正義氏はすぐに検索エンジンの重要性を見抜きました。デジタルでは、無制限にデータ情報が集められるところまでの見通しはつきます。私もデジタルの特徴として講義していました。しかし、検索エンジンが、その世界の入り口となり、それを制するものがビジネスの覇者になることは、簡単に予知できないものでした。なんせ初期には情報など蓄積されていないからです。まずは、文字電話のようにしか思えなかったわけです。

 

ラジオやテレビや電話が登場したときに、みんながそれを最初にどう思い、普及したらどう使われていたかを調べてみるとよいでしょう。テレビが出たときに、ラジオはなくなる、ラジオが出たとき、新聞はなくなると言われました。電話が出て、電報はなくなるし、メールやSNSは、郵便をなくしつつあります。

インターネットで、新聞、テレビ、ラジオ、レコードやDVD、漫画、本、さらに、郵便、送金、投資、店まで、あらゆるものがとって代わられています。桁違いに強い総合力を持つのです。とはいえ、元は電話回線網の強さです。セカンドライフなど、似たようなもので消えていったものを考えてみるとわかります。インターネットこそ、過去のネット網の応用、変形であって、決して新たな突然変異ではないのです。

 

マクルーハンが言ったことが、インターネットにはどう通じているのかをみるとよいでしょう。過去にとらわれるのではなく、過去に新しいメディアをどのように評価したかというのをみると、今後、新しい状況が現れたときでも予知がうまくできるようになるでしょう。

ときにわれわれは過去にとらわれすぎていると反省することも必要です。しかし、そこからこそ、20年30年先に、どのようになるかの一端が見えるはずです。

トリアージとトロッコ問題、ブラックホークダウン

トリアージの例として、よく使われるのは、トロッコ問題です。暴走するトロッコ、そのまま放っておくと、レール上に犠牲者5人、その前のポイントでレールを切り替えると犠牲者1人、あなたなら、どちらを選ぶのかということです。

日本人は、乗客より歩行者を優先するそうです。「より多くの人数」「高齢者より子供」を選ぶことについては、他国の人より優先度が低いそうです。

思うに、自分で判断した責任を負いたくないから、運命と思って、そのままにするのではないでしょうか。

かつては、出産も命懸けでしたから、母と子の命に優先順をつけることも珍しくなかったことでしょう。主君一人を守るために何十人も死んだ例もあるでしょう。命に優先順位などはないといえばそれまでですが、現実に非常事態は起こります。順位をつけなくては、被害が最大になりかねません。被害を最小にするために、限られたなかで、苦慮の決断をするのであり、そうしなくてはならないのです。また、そうできるように、日頃の訓練、思考も必要なのです。

 

アメリカの軍隊は、一人の捕虜を助けるために全力を尽くします。身分問わず、一人を助けるために何人もの犠牲を払うこともあります。そのあたりは旧日本軍と違い、合理的です。自分が犠牲になったとき、仲間が助けにくると信じられるからこそ、命懸けで戦えるいう論理であり、倫理です。

かつて、日本人は、非常時を想定しないため、兵士や庶民の命を軽視しました。非常事態では、全く相互信頼はなく、司令部からは、人間以下の扱い、無関心、対応しないとされたのでしょう。日本兵捕虜は、尋問でなんでもペラペラ喋ったそうです。日本人は誰一人捕虜にならないと前提を疑えない頭の硬さには、絶望しかありません。

 

この度、アメリカは、アフガニスタンから撤退しました。ベトナムもフランスの後を受けて20年くらいで退きました。日本以外、ほぼ統治は失敗となると、どうも日本人として、今も続く、この戦後体制は、決して誇れることではないことが改めてわかります。

ベトナムアフガニスタンの間では、たとえば、ソマリア内戦への介入、これは、映画「ブラックホークダウン」で描かれています。ヘリコプターが撃墜されての救出、、この作戦で、アメリカ人19人犠牲、ソマリア人千人以上とか、でした。

 

息とプロンプター

プネウマとは、ギリシア語で風、息、精霊のことです。ラテン語でSpiritus、英語でSpirit、精気、気息と訳されます。

アメリカの大統領から日本の総理までがスピーチのときに、使っている電子で文字を出す透明版は、カンペ(カンニングペーパー)で、プロンプターといいます。それは、元は、息を吹き込む者という意味でした。

息は、呼吸であり、それに関する言葉は、声帯で発するハ行の音でつくられることが多かったのですが、P、S、k、iなども、息の強い言葉です。プネウマとかスピリット、気息など。

言語と情調 語感

折口信夫の「言語情調論」では、

「言語表象の完成は、音声の輻射作用によって観念界に仮象をうつし出すことによって得られる」と述べられています。これは、音声を聞くと、ある気分が出てくるようなことです。

「音覚情調」(聴覚情調)を形成するのは「音質」「音量」「音調」「音脚」「音の休止」そして「音位」(斜聴)となります。

 

それは、語感にあたります。なによりも、身体の機能として、発声ができるようになるには、生まれてから、1年、ある程度、発音を区別して基本的なことを伝えられるには、3年はかかります。それまでに周りの人の言葉のシャワーを浴び、聞き分ける能力がついてから、母語が形成されていきます。そして、周りの人に直されていくわけです。

発音、発声と、感情は、結びついています。人間の基本的な感情は、国や民族を問いません。当然、似たような発音や言葉になることも多いです。笑ったり怒ったり泣いたりするとき、言葉になってないところでの声の感じは、案外と万国で共通しているものです。ため息や疲れたときの声、気持ちのよいときの声なども、です。

それが、オノマトペになってくると、どのように聞くかということもあり、さらに継承されている言語文化に合わさっていくわけです、動物の鳴き声が、ワンワンとバウバウなど違ってくるのは、その一例です。

ベルモンド死去、「男と女」、月、宗教、身体

フランスの俳優ジャンポールベルモンドが、9月6日、88歳で死去しました。「勝手にしやがれ」の俳優です。9日に国葬され、マクロン大統領夫妻、アランドロン、クロード・ルルーシュ、ギョームカネ、サルバトーレアダモなどが参列しました。70歳でもうけた末娘のステラも。ジャンギャバンと同じパリのペールラシェーズ墓地で、火葬されました。

ルルーシュというと、2019年公開の映画「男と女 人生最良の日々」を観ました。

1966年の『男と女』の続編で、主演の二人の52年後を描いています。監督も主演のアヌーク・エーメジャン=ルイ・トランティニャン、音楽のフランシス・レイも、当時と同じスタッフとキャストで制作されたのです。

当時、同年代で見た人には、特にカップルたちには、さぞや深い感慨をもたらしたことでしょう。ルイもアヌークも30代から80代になったわけです。映画とはいえ、ドキュメンタリーみたいなものですね。私もいろいろと身につまされました。